NAKBAとは?

1948年5月14日、イスラエルが誕生し、パレスチナ難民が発生した。この事件をパレスチナ人はNAKBA(大惨事)と呼ぶ。
この年、400以上もの村々が消滅、廃墟となった。故郷を追われた人々のほとんどは、難民キャンプでの生活を強いられている。
その過去を知らないキャンプ二世、三世が生まれ、増え続けている。
そして、いまなお、パレスチナ人が暮らす場所を破壊し、追放する
動きは続いている。
フォトジャーナリスト・広河隆一
1943年生まれ。
報道写真月刊誌「DAYS JAPAN」の編集長・広河隆一は、いくつもの世界の戦場を取材し続けたベテラン・フォトジャーナリストである。
写真の力を信じ、報道写真に命を賭けてきた広河は、1982年、レバノンのパレスチナ人難民キャンプで大虐殺を目撃する。
一台の8ミリフィルムカメラによって撮影した映像は世界的なスクープとなり、イギリスBBC放送をはじめ、各国に配信された。
40年間パレスチナを追い続け、問題の根源を深く追求する広河の仕事は、“戦場カメラマン”という言葉からイメージされるヒロイズムとは一線を画している。
そして9.11以降、人々の間で広がるメディア不信に深刻な危機意識を持った広河は、2004年に月刊誌「DAYS JAPAN」を発刊、自ら編集長を務めることになる。「DAYS JAPAN」発刊の根幹には、大きな志の言葉が掲げられている。
「たった一枚の写真が世界を変えることもある」、と。

NAKBAを追うまなざし
その広河が、みずからの原点を見つめる。1967年、23歳の広河はイスラエルに行き、社会主義的な共同体キブツダリアで暮らしていた。イスラエルが広大な占領地を手にする中東戦争後、広河は、働いていた農場で気がかりな風景と出会う。サボテンが群生する「白い廃墟」。それはかつてパレスチナ人が暮らしていた村の跡だった。村の名はダリヤトルーハ。今は地図にその名はない。「ホロコーストを経験したユダヤ人のキブツが、パレスチナ人の村の土地に建てられている」。その事実に衝撃を受けた広河は、失われた村の住民を捜し始める。それは、現在も続いている「破壊と追放の歴史」を辿る旅でもあった。パレスチナの戦乱や和平をめぐる動きを取材しながら記録されていく、荒涼たる廃墟となった村々の姿や、パレスチナ人、ユダヤ人による生々しい証言、次第に浮き彫りになっていくNAKBA……。
そして、ついに広河は「白い廃墟」、ダリヤトルーハの住民たちと巡りあう。
